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●2位はすなわち死である ●東京オリンピック ●思いは半ばに過ぐ

「2位はすなわち死である」

リクルート出身のY社長から
「起業の天才」という本を紹介された。
リクルート創業者の江副浩正氏の話。

Y社長はリクルート時代、
創業者の話は一切出てこなかったという。

この本を読んで、
自分が働いていたリクルートのDNAが
どうやって育まれたのか分かった。

今のリクルートのHPにも
創業者江副氏の名前はない。

リクルート社は1960年創業。
リクルートの情報誌は、
インターネットのない時代の「紙のグーグル」だった。

情報がほしいユーザーに
情報を届けたい企業を
「広告モデル」(ユーザーには無料)によって
ダイレクトに結びつけた。

1967年ダイヤモンド社が就職情報誌を出す。
江副氏はダイヤモンド社長に直談判をする。

「当社は生まれたばかりで御社とは勝負になりません。
お願いします。やめてください」。

当然、断られる。
そこで江副氏は「書中の師」ドラッカー「現代の経営」より
「総力戦略」を腹を括って採用する。

総力戦略とは、
新しい市場や産業を創造し、
最初から最後まで業界でトップの地位を得て
最大報酬を得る戦略。

あらゆる戦略の中でギャンブル性が高く、
一切の失敗は許されない。
まずまずの成功や惜しい失敗はない。
生きるか死ぬかの戦略。

「2位はすなわち死である」。

ダイヤモンド社の事業は上手くいく。
多くの会社が就職ガイドブック市場に算入。

リクルート社は
次から次へと現れる競合先を徹底的叩く。

1987年時、売上シェアは
リクルート77%、ダイヤモンド6%、毎日5%。

1984年経団連会長と面談。
会長、
「日本は産業立国。原料を輸入して
日本で製造したモノを世界中に輸出することで繁栄してきた。
モノをつくらない会社が繁栄するようになると日本の将来は危うい」。

江副氏、
「産業、企業にも栄枯盛衰がある。
モノづくりも大切ですが、
経済の成熟に伴いサービス業の役割が大きくなる」と反論する。

江副氏が去って30年以上経つが、
リクルート社は今でも情報産業企業として成長し続けている。

創業時「経営の三原則」のひとつ
「個の尊重」が脈々と受け継がれている。

 

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