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●社長、中国撤退を決断 ●竹田陽一登場 ●市場チャレンジャーの戦略2

「社長、中国撤退を決断」

もの作り会社A社(従業員70人)の話。

A社は、東京と東北地方に工場(2ヶ所)を持ち、
20年以上前に韓国に工場(合弁)進出し、
得意先の海外展開に対応していました。

A社には特にすごい技術はなく、
差別化を図るものもありませんでした。

その代わり、
生き残るためにいち早く(しかたなく)海外展開を図りました。

韓国工場を合弁の会社に株式を売却し、
中国に工場進出(100%現地法人)。
さらに商事会社を中国に設立。

中国にある日系企業向けに
「外・外」(日本の本社を通さず)取引を増やしていきました。

中国での「外・外」取引は、
数億円に上るまで成長しましたが、
収支を見ると赤字。

毎年日本から資金を補填していました。
日本本社から技術者が3名ほど常駐していましたが、
なかなか中国人には技術の浸透は上手くいきませんでした。

A社は単純の流れ作業ではなく、
一品ごと特注の製品のため、
技術力が必要なのです。

ここでA社長は、
中国工場の撤退を決断(商事会社はそのまま存続)。
一瞬ですが、債務超過に転落。

すると銀行の対応が一変しました。
資金の回収に動き始めました。

A社長は、
「これが銀行か。
雨になったら傘を取り上げるというのは本当だ。
これからは銀行に頼らない資金計画が必要」と。

中国撤退とともに
不採算の大口取引先B社にも
取引を止める事にしました。

3年前から新規優良先C社・D社を開拓していたので、
B社の取引を止める機会をうかがっていました。

顧客を入れ替えたことにより、
年商15億円で税前利益は1.7億円を計上。
国内工場も10年前から5S(特に3S)を徹底してきたことで
売上高経常利益率は2%~5%程度だったのが、
11%~12%を安定的に確保できるようになりました。

国内の協力会社も競争力がつき、
海外で作るよりもコスト競争力がつくようになりました。
銀行には新たな借入をする必要もなくなり、返済するだけになり、
いずれ無借金経営できることが見えてきました。

この10年で日本のもの作りは、
強くなってきました。
逆襲を期待します。

 

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